13歳の思春期真っ盛りのADHDの息子を育てている母です。ちなみに夫はASD傾向。 わたしは気分変調症による軽度のうつ状態ですが、みなさんと情報共有・交換などできたらいいなと思っています。 たまに雑記的なことも書くと思います。
※カテゴリー「その他」にある「このブログについて」に目を通していただけると助かります。

2020年5月14日木曜日

未来を予測する恐怖



引っ越し


夫婦とは


1年ちょっとの夫単身赴任&わたしと子供の二人暮らしが経ちました。
コロナの影響なんかで3か月くらいは子供(と言っても中学生ですが)と二人きりで密室空間にいた感じです。
それでも特にわたしは負担に感じていないし、息子に聞いても特にストレスが溜まっていないということ。これは多分嘘でもなさそうだし、気を使って言ってる感じもないと思う。
だって不謹慎かもしれないけど、こと我が家に関してはこの状況が快適なんだもの。
少なくとも今後の激変を考えればすこぶる平和だと思う。
※その激変は後述します

なんか本当にこの1年色々なことがあって、なんだったら円満調停のために飛行機に乗って調停に出向いたこともあるし(わたしが申立人)警察や児相のお世話になったこともあるし、通級のお世話にもなったり各方面の役所の方にも相当お世話になりました。
本当に自分史上第二位くらいの激動な1年でした。

ちなみに警察のお世話になったのは夫が息子に長期にわたる虐待があったからです。これに関しては語ると長くなりますが、夫は息子のことを愛しているけど感情のコントロールが出来ない上に人の気持ちが分からない、その後も予測できないアスペルガー気質が起因していると思う。本当に息子のことを愛しているのは分かっていたし、家庭を守るために激務に耐え、自分は質素な暮らしをし、子供のためにが口癖の人だったので、これは私も10年続いた暴力的精神的な児童虐待ではあったのだけれども通報する勇気がなかった。言い訳になるのだけれども彼の思いも考えると躊躇しまくって10年という子供にとっては貴重な時間をわたしが迷っているうちに奪ってしまったことになる。

東京に息子と二人暮らしをしてからひょんなことで夫の長年の息子への暴力が警察に発覚し、たまたま単身赴任先から戻ってきた夫が警察に呼び出され、お叱りというか指導をみっちり受けた結果、即効で効果がありました。
本当に息子に優しくなったし、ADHDの息子で夫の思うようにきちんとしてられない息子を冗談交じりに上手に勉強するモチベーションに導いたり、勉強が終わったらちゃんと息子の希望通りの遊び(今は将棋とかです)に付き合ったり、本当に優しい父親になったと思う。



具体的に警察の方にどういう指導を受けたのか同席してなかったのでわたしには分からないんですけど、今までわたしも息子への暴力暴言については散々言ってきたのに権威ある人に一度叱られるだけでこんなに効果があるなんて、本当に驚いてます。

その後はわたしへの精神的DVや身体的なDVについて夫は再度東京の警察から指導を受けることに。精神科の先生曰く、ASD傾向の人って、自分でこれはいけないと思っていてもどうしていいか自分で思いつけないらしいんです。だだ、そういう権威ある人に明確に「こうしなさい」とか「こうするべき」と言われるときっちり守れるという性質があるらしい。なのでアスペルガーとか学習障害を伴わないASDの人の場合は勉強がすこぶるできる人が少なくないと言われているし、夫もそう。要は「すべきこと」「決して許されないこと」を具体的に提示されるとわかりやすく、実行しやすいということなのかなと。
やたら精神科の先生の言ってることに納得してしまった。
今後わたしに対しても警察の指導力が活かされると非常に助かります。それは未知数ですが。

ようやく1年ちょっとかけて息子が希望していた引っ越しが叶いそうではあるんですが、調停でも頑なに拒否られていて、飛行機乗って子供を置いてきてまで調停に行っていたのに「あんなの伝言ゲームだ」の一言で調停不成立になったり、だいぶ時間を無駄にした感じがする。その間、息子はこっちの生活に慣れてきているし、また向こうに戻った時に「なんで帰ってきたの?」とか言われたり、また転校生になるわけだし引っ越しに同意するならさっさとして欲しかったというのが二人(息子と私)の本音。

ここで問題なのはTwitterでは少し触れたんだけれども、わたしに対して「死ね」とか平気で言うんですよね。またここも感情のコントロールの問題とか、わたしにも非があったりとか彼なりに色々言い分はあるとは思うんですけど、わたし一度未遂をしているので、それを知っていながらその言葉を言うってことは、本当にそう思ってるんだろうなって言われた当初はかなり悩みました。頭に思い浮かばないことは口にもできないだろうと思って。

何度心を抉られれば終わるんだろうという気持ちと、大人の発達障害のせいであって本物の悪人ではないという狭間で悩んでいる。
だって発達障害はもともと持って生まれた特性であって本人のせいではないから。
しかしながら女性相談系の公的機関に相談すると「モラハラは治らないから離婚すべき」「あさひさんの人生はあさひさんの人生なのだから、あさひさんが一番幸せと思う人生を生きるべき」とかもう自分の意思や想定を超えたことを言われてカオスな精神状況な日常であります。

とりあえず今の流れは夫のいるところ(もともと1年前にわたしたちが住んでいた場所)に出戻る(引っ越す)という方向で動いているんだけど、かすかにわたしの中で「一生この人と生きていけるのだろうか」という疑問もぬぐえないでいる。

前述した※後述しますの件はココ↓
自分で決めるしかないけれど、引っ越してしまったらまた離婚や別居などの選択肢が狭まるから頭フル回転してベストを決めていくしかない。
とは言え人と過去は変えられないし上に未来は予測できないというのが人生のきわどいところであると思っている。
与えられたカードで今思いつく最善を尽くすしかないんでしょうね。

※誤解のないよう補足させていただきますが、ASDをはじめとする全ての発達障害の方がこのような状況に当てはまるとは思っていません。気分を害したり、それは違う!と思った方もいらっしゃると思うので、不快に思われた方へは本当に申し訳ありませんでした。

2020年2月29日土曜日

カサンドラ症候群

ASD・アスペルガー症候群

うつ病


最近買った本で「カサンドラ症候群--身近な人がアスペルガーだったら」岡田尊司著を購入して読んでいます。これわたしたち夫婦だなあと思ってかなり共感しています。
(わたしが買った本もこの帯がついているんですが、ちょっと被害妄想的でこの帯好きじゃないです…苦笑)

きっと夫はアスペルガーだと思います。結婚生活15年、付き合っていたときから数えるともう少し長くなりますが、今思えば付き合っていたときから、少し人と変わったところがあったと思います。なぜそれを認識していたのに見て見ぬふりをしてしまったのか。その答えも自分でも分かっているんですが、今そんなこと振り返っても仕方がない。同じことを繰り返さないこと、与えられたフィールドで全力を尽くすこと。それしかないと思っています。

夫が単身赴任になってから1年が経とうとしています。離れているからこそASDの夫の特性の典型的な面がとても良く見えてきてわたしは本当に孤独も感じているし、なんでも一人で解決しなければならないというプレッシャーが重くのしかかります。

特に春の時点では、今までのASDの夫でありながらも一緒に暮らしていたので頼っていた部分もたくさんありましたが、離れてしまうと夫にはわたしたちは目に映らない。忘れてしまうようです。
一生懸命働いてくれて、毎日仕事を頑張ってくれているのはわかっていますが、2週間音沙汰がないとか、月2回まで帰ってくる費用を会社が負担してくれるのに返ってこない月もある。

目の前にないものは、忘れてしまうというか優先順位が低くなるみたいです。ワンオペ育児が始まってから、とてもつらかったのは子供がいじめられていても、学校で困ったことがあっても、わたしの親が倒れても、話を聞いてくれないこと。もちろんアドバイスももらえない。でもわたしが出来なかったこと非難や指摘をされるし、離れて暮らす自分(夫)の生活リズムを崩すような連絡の仕方をすると責められるので、とても寂しかったし、自分ひとりで乗り越えられるのか不安だった。急ぎの用のときもあるので。不安な気持ちを受け止めてくれる人も本来夫であって欲しかったのに、突き放されたようでとても辛かったです。

ただ今は、子供の発達障害ももちろん、夫のASDについてや、自分のうつの特性など、自分を含めた家族それぞれの苦手なことや特性、要するに本質的な性格として突出しているところを理解して歩み寄ってみたり、限界でない限り我慢するということも覚えていって、自分で言うのもあれなんですが1年前よりかなり辛抱強くなったと思います。
そして、ADHDでも優しくて明るい息子(親ばかですみません)、厳しくて真面目なわたし、そしてASDな夫という色とりどりなこの家族をどうにかしてまとめて行けるのは、わたしなのかなと思っていて、もう少し頑張ってみようと思っています。

どんな家族でもみんなが少しづつ優しくなって歩み寄って幸せを得てると思うから。それが意識的でも無意識でも。
わたしはもう少し頑張らないといけないと思います。共感性のない夫と一緒に暮らすHSP傾向のわたしとしてはしんどい部分もありますが、自分自身がもっと良い人間になるためにも、色んな個性を受け入れながら勉強も続けていきたいと思っています。

ただ本音を言えばとてもしんどいです…苦笑

 

2020年1月31日金曜日

思考的ADHDと躁鬱について

思考的ADHD

うつ病

春から夏くらいまでは、子供のいじめや実家のもめごとや、色んなことを考えて行動してきました。やっても無駄でもやらないでいるよりはマシだし、10やったうち1でも何か得られたらそれでもいいし、得られなかったことには理由があると考え抜いて行動してきました。
それが最近になって一気に気力が衰えてきました。何もできない、何もしたくない、それ以前に体が鉛のように動かない。最初にうつになった時と同じような状況です。
数か月前はあんなに思考力とそれを実行する行動力があったのに、今は何もできない。でも思考力は衰えていないので、色々考えてしまうから余計に自己嫌悪やら焦燥感やらでわけがわからなくなってしまって。
今の主治医はわたしの状態を思考的ADHDという考えで捉えていて、少し前まではそういう見解がなく「躁鬱」とまとめられてきたけど、今は色々研究が進んで躁鬱と似て非なるもの的な説明を受けました。行動できていた春から夏までは「なるほど、そうなのか」と思っていたのですが、最近の自分の状況を考えると、うーん…となり、昔一時期違う医師に「躁鬱」と診断されたこともあって、これは躁鬱なのではないかと思い、今日主治医に「これは躁鬱なんじゃないかと自分では思うんですけど」とストレートに言ってみました。

でもやはり主治医の考えは基本的には変わらないようで、「今直面している問題がだんだん課題の分離的な問題じゃなくなってきていて、切り離せないことが増えて切羽詰まった問題に直面しているからなんじゃないかな、正確に言うとやっぱり躁鬱ではないと思う」という答えでした。
そうなんかなあ、、と素人なので良くわからないながらも新しく処方された薬(もちろん躁鬱の薬ではない)をもらって帰ってきました。
その説明を薬剤師さんに聞いたり、もらってきた説明書きを読んだりしているうちに簡単に言うと「元気になる漢方」でした。
これで辛い状態が回避されれば良いのですが、風邪にも効くとか書いてあって、なんとなく心もとない…。でもとりあえず決められたように飲んでみます。

それと、自覚があったのですが、ワンオペ育児が始まってからどんどん痩せていってるんですよね。前から痩せている方だったかとは思うんですが、身長156cmで40キロくらいだったのが、今は34キロ。これでは体力もなくなりますよね。なので目下体重を増やし体力をつける、ということを目指しています。

ダイエットとか痩せる系の本や雑誌やネットの情報ってたくさんあるけど、太るためにはどうしたらいいかって中々ない情報なので試行錯誤しながらせめて元の体重に戻るくらいに目標を定めて体重を増やして体力をつけたいと思う今日このごろです。
健康的に体重を増やす!頑張ります。

2020年1月30日木曜日

バレットジャーナルを試してみる

バレットジャーナル

ウィルパワー

去年からわたし自身がバレットジャーナルにはまって、毎日のようにバレットジャーナルに何か書いたりしているのを見て、息子が「自分もやりたい!」と言い出しました。
ネットですごいクオリティと活用法でバレットジャーナルを駆使している人達がいるのを知っていて、自分自身もまだ改良の余地ありな感じなのに息子にできるのかな?とは思いつつ、一応何か役に立つだろうと思いわたしの知っていることを教えながらやり始めることに。

慣れないうちは大人もそうですが、あまり高いノートは買わなくていいと思います。わたしも最初は100均のノートから始めました。ちなみにA5サイズです。(それは好みでよいと思いますが)当初使っていた私のバレットジャーナルです↓


リングノートにして、リボンはしおり代わりにしようと思い、リボンも100均で買ってきました。こんな感じで初期投資はリボン代とノート代の300円です。

息子がやりたいといったときも同じように作りました。でも息子とわたしのスケジュールって全然違うので、とりあえず今日、明日は家勉なにをするか、ということを書かせています。最初は「思ってたのと違った!」とか抵抗し始めたのですが、結構有効だと思うんですよね。「とりあえず2週間くらい続けてみよう!」とか励ましながら、そのメリットを感じてほしかった。

まず初めての日は「今日やること」を箇条書きに。その日きちんとできたら箇条書きの「・」の上に×をしていきます。できなかった分は、〉(先送りという意味)と書いて明日に回します。
で、問題は「明日やることを決めておく」バレットジャーナルに今日できなかった分を含めて、明日やり切れそうな分だけ自分で決めて書いておく。例えば「・数学テキストP〇〇~〇〇」とか、そんな感じです。もちろん日付と曜日も冒頭に書きます。うちでは記憶の定着を意識して翌日と一週間後に復習をさせているのですが、そのときにもバレットジャーナルに記録が残っていると先週何をしたか、忘れなくて済みます。

そして何より「今日は何をしよう、、」と考えなくて済むことです。ウィルパワーというものがあって、ウィルパワーはスマホで例えると朝は充電100%、途中でいくら休んでも夜に向かってどんどん減るそうです。この「今日は何をしよう、、」というのがなくなると、「明日の予定を決めておく」ことはやらないよりは、その日のウィルパワーが節約されて家勉に少し注げるエネルギーが少し増える(はず)だと思っています。
そんな感じで今、バレットジャーナルで自分の家勉に関しては管理していて、もちろん本人はそんなに意識高いわけではないので、勉強の前後にわたしがバレットジャーナルを確認したりしています。

ちなみに「スタディープランナー」というのもあって、それはひな形が売っていて書くところも何を書くかも決まっています。文房具屋さんでちらっとみた感じだと筆記が面倒でない人や、女の子に向いてるかなあという印象でした。

自分もバレットジャーナルをやっていて、これの良いところは、To Doリストやスケジュール管理としてはもちろんですが、忘れてはいけないもののメモをそのままペタっと張ってしまったり、記念の何かのチケットをそのまま張り付けたりしても、来月の予定表を書くのは自分なのでスペースを気にせず自由に使えるところが気に入っています。
息子にもそこまで使いこなして欲しい…。

バレットジャーナルの詳細についてはネットや動画でたくさん素敵なアイデアや綺麗なレイアウトなど解説してくれているので、興味がある方は調べてみるといいかもしれません。

2020年1月28日火曜日

大好きの魔法

息子の特性について(ADHD)

今、息子は中学校1年生ですが、わたしたちは今でも「大好き」という言葉を良く言い合っています。もう昔からの習慣なのでしょうね。さすがに小学校高学年ころからは人前では言わなくなりましたが…。


過去の記事で息子のIQのでこぼこについて書いた記事がありますが、息子は本当に口が達者で語彙力もあり後先考えないで(ADHDの特性なんでしょう)わたしに口撃してくることが最近では特によくあって、基本そういうときは無視をするのですが、わたしも不完全な人間なので、つい反応してしまうときもあります。
そんなときでも、しばらくすると「大好き」と言ってきてくれることもあって、息子なりの「ごめんなさい」なのかも知れないし、さっきのことは忘れてまた今思っていることを言っているだけかも知れないけれど、それはわたしにはどっちでも良くてわたしも「お母さんも大好きだよ」と返しています。

ある日、息子が「中学生にもなって大好きとか言ってるのっておかしいのかな?」と言ったことがあります。そのときわたしは「全然変じゃないよ、お母さんは本当に思ってるから言ってるし、〇〇も本当に思って言ってくれているならそれでいいじゃない、お母さんは嬉しいよ」と答えました。

別に外国かぶれしているわけではないですが、わたしは洋画が大好きでワンオペ育児が始まる前は毎日洋画を見ていました。ハリウッド系とかだけではなくて色々な国のものです。その中で、往々にして外国では大人になっても親子で「愛してるよ」と言ってるんですよね。それこそ口喧嘩した後でも。
そういうところは日本にはあんまりないなーと思っていて、「言わなくてもわかるでしょ」じゃなくて口にすることが大切なんだと思うんです。それはいくつになっても。わたしはまだ中学1年生までの育児しかしていませんが、これからも「大好き」は言い続けるつもりです。お互いにほっこりした気持ちになれると思うから。
うちは小さい頃から続けてきたのでそれが普通になっていますが、例えばもう10歳も越えていて今更…と思ったとしてもやらないよりやった方がいいんじゃないかなーとわたしは思います。
「大好き」じゃなくても「いつもありがとう」「いつも感謝してるよ」「こんなお母さんを受け入れてくれてありがとう」とかから始めてもいいですよね。
言い慣れてない方は「いつもありがとう、本当は大好きなんだよ」とかだと言いやすいかも。素気ない反応が返ってきてもきっと心に何か届いているはず。

わたしの通っている精神科の先生のお話の中でも「思春期の子は何を言っても結局心ではわかっていて、ただ恥ずかしいだけ。いつかきちんと形として感謝が返ってくる日があると思うよ」と励ましてくれています。
本当に困ったことがたくさんあるけれど、そんなときこそ「大好き」って伝えたいなって思っています。こんなに正直に言わせてくれる息子にも感謝しています。

2020年1月27日月曜日

200字作文

息子のこと

学校

初夏ごろに、息子が学校から「200字作文コンクール参加者希望」というプリントを持って帰ってきました。
わたし自身、その200字作文というのが何なのかきちんと何かは把握していなかったのですが、息子は言語能力が高い割に作文が苦手です…。多分、行為としての書くのが好きではない(字が汚いのが物語っている…)だったりとか、喋るということより筆記することのほうが面倒なんでしょうね。と思っていました。

口は達者で語彙力もあるので、文章力も磨けばなんとかなると思い、「参加してみたら?」と声をかけてみました。案の上、最初はめんどくさい、嫌だ。という感じ。確かに毎週朝早く行かなければならないので、そういう面でも面倒だったのでしょう。

でも学校が無料で作文を教えてくれるわけで、こんな助かる話って保護者としては見逃せないし、息子の特性からして国語系は得意なはずなので磨けば光るはずと信じて、そのまま息子に伝えました。すると息子ははじめは渋々だったのか、「やってみるよ」という答えが返ってきたので、初夏くらいから毎週200字作文の授業に出るようになりました。

一応そのときは初夏(5月か6月くらいから)年末まで、という期間で申し込んだのですが、その間に全国の200字作文に参加している中学生向けの新聞が学校に配られるらしいのですが、息子の作品が載りました。夏くらいのことだったと思います。
先生向けに何部か学校にあったらしいのですが、「一年生初掲載だから記念にあげるよ」と、その新聞をもらいました。その日は、200字作文の担当の先生はもちろんのこと、他の先生も廊下で息子とすれ違うと「おめでとう!」などと声をかけてくださったりしたそうです。担当の先生がしっかり息子の掲載されている部分をマーカーしてくれていたのが親としても嬉しかったです。
この件で、本人も相当嬉しかったようで帰ってきてから第一声に「200字作文掲載された!!!」「色んな先生に『おめでとう!』って言われたよ!」と喜んでいたので本当に良かったと思いました。

それからは渋々行っている様子が少なくなり、最初の期限の12月が来る少し前に、また次期の200字作文参加希望のお知らせのお手紙を持ってきたときに、自分から「続けたい!」と言ったのには、わたしとしても驚きました。やっぱり成功体験があったからなのかなと思っています。
今までは200字作文のある日は前日にわたしが声を掛けたり、早起きさせたりしてかなりサポートしていましたが、今は自分から「明日200字作文あるから早く起きなきゃ」と言うようにまでになりました。

次期の200字作文の参加については、わたしから勧める気はありませんでした。正直もう辞めてしまうと思ったのですが、それなら嫌々やっても仕方がないと思ったからです。やる気がないのに惰性で続けても意味がないと思ったからです。でも今本人は次期も続けたい気持ちで200字作文に取り組んでいるので、今後どういう成果があるのか、本当に文章が上手になるのかは未知ですが、何かに対して積極的に向かっているということが大切なのかなとわたしは思っています。
それがいつか何かになれば良いですが、成功体験も失敗体験も何も体験しないよりは貴重な経験だと思っています。

今のわたしの役割は最初にちょっとだけ背中を押してあげるだけ、それ以上は強制やコントロールしないこと、これは心に決めています。そのうち背中を押さなくても自分で考えて行動できる人になってくれることを願っています。

 

2020年1月26日日曜日

勉強とADHD

息子の特性(ADHD)

これはIQとかにもよると思うし、ADHDの特性(どの傾向が強いのか、何に興味があるのか)によって違うかも知れませんが、うちの場合はこうでしたという過去の話を書いてみます。
小学校に上がったとき、だいたいの場合は初めて学校から宿題というものが出ますよね。息子が小学校1年になったばかりのころは、それを異常に嫌がって本当に大変だったことを今でも時々思い出します。
保育園時代に園が終わったあとに、ちょっとした文字の読み書きなどを習っていたので基本的には小学校1年生の始めに出された宿題は「あいうえお」をプリントになぞって書く、とかそういうものだったので、その時点で字は書けたし出来ないことではなかったのに何故かとても嫌がって、椅子から飛び降りて泣いて暴れて這ってでも逃げようとしていました。

今考えても出来ることなのに何故あんなに抵抗していたのかは良くわかりませんが、とにかく当時「これはなんとかしなければ」ということで、わたしもまだ手探りな状態だったので(今もですが、、)とても悩みました。時には「あいうえお」だけの宿題なのに親子で泣きながらなんとか終わらせるような状態も珍しくなかったです。

あれこれ考えて、とにかくまずは座ってもらう、そして今目の前にあるものはあなたにとって難しいものではないんだよ、ということを伝えてきました。そして宿題するときはお母さんがここで見てるよ、と言う感じで一言で言うと「横で付きっきりで励ます」という状態です。
わたしが励ましながら隣や目の前に座っていると2か月くらいで比較的落ち着いて取り組むことが出来るようになりました。でも自発的にはやらないので、帰ってきてからの声掛けは必須です。声をかけ、そばにいて、はげまして、ということを繰り返しているうちに自然と嫌がることはなくなりました。

次に「帰ってきたらすぐにしようね」という約束をし、遊びはそれから。というルールも決めました。すると自分から帰ってきたらすぐに宿題を持ってきて取り組むように。お友達の中には帰ったらすぐに遊びに行って、遊びから帰ってきたら宿題をする子もいたようで、みんなと中々時間が合わないこともありましたが、小学校のときは特に息子の場合、切り替えにとても時間がかかってしまうところが強かったので先に遊んでしまうと、そのまま楽しいテンションから宿題モードに切り替えるのが難しかったのです。

ここまで来るのに半年以上かかったと思います。とにかく最初の宿題の嫌がり方が尋常じゃなかったので、あのときわたしが諦めてお手上げ状態になっていたらと思うと今でもぞっとします。
その後、2年生だったか3年生くらいからは自主勉強もやるようになり、最初は分からないところを私が教えたり、○つけしたりとか、かなり関わってきましたが、4,5年生くらいからは自分で○つけをさせて、その○つけが合っているかどうかを私がチェックする、という形にシフトして行きました。
わざとではないと思うんですけど、○じゃないのに○にしていたり、ケアレスミスが非常に多い。これは今でもそうです。おそらくADHDの方はケアレスミスとか多いのかもなあと思っています。

ADHDの子は、習慣化するまでには時間がかかるけれど、一度習慣化してしまうと逆に「やらなきゃ気が済まない」「やらないと何か気持ち悪い」みたいにやらずにはいられなくなるそうです。なので根気よく習慣化するまで見守ってあげることが大事なのかなと思いますし、今でもそう思っています。
とは言え、場合によっては習い事など何年経っても効果が上がらないものは合っていないと見切りをつけることも時には必要かなと思います。本人もストレスになるでしょうし、時間もお金ももったいないです。

そして中学生になった今息子は英語が大好きです。自ら地域の英語スピーチコンテストに立候補して実際スピーチコンテストに参加しました。勉強も(たぶん…)頑張ってると思います。IQ的にオールマイティに高いわけでないけれど一応学年で3番目くらいにはいるので。泣いて嫌がっていた昔の息子が…と思うとびっくりですよね。

今、息子には夢があるようなので是非ともこのまま歩み続けて欲しいと思います。わたしは今はそっと見守るくらいになりましたが。助けて欲しいときにはいつでもその準備はできているし、するつもりです。
思春期になってくると関わり方が変わってきますね。